「テーラワーダ仏教の実践」から

善き生き方 とは どのような生き方なのでしょうね。

「自分を見失わずに生きること?」
「自己を成長させ続けること?」

ヨーガでは幸せになるために、どちらも大切であると説いています。

ヨーガを行じる最大の目的は「幸福度の拡大」ですから、めざせ

Happy Life!

ブッダの教える自己開発法が書かれた本「テーラワーダ仏教の実践」から

善き生き方 のヒント をいただきました。

 

馬車1

「テーラワーダ仏教の実践」から。

とにかく、最初は難しすぎて・・。仏教の下地がない私にムリ!っと寝かしていましたが。

先日、読了。2年前は、意味がわからず読むことができなかったけど、
今は、所々「そういうことね~」と納得できました。

 

「テーラワーダ仏教の実践」のなかにも、このようにありました。

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自然界の法則は一切のものは自然のままにあります。
それは生滅変化して基の状態を保てず、そのものの因縁によって現れる現象です。

一切のものが、そのもの自然のままに・・・。無常、無我、苦である。

自然界のなかで自然のままにある苦、すなわち変動していく安定しないものが私たちの心の中で圧力や葛藤となる。自然界の法性である苦(常に変化するもの)が、私たちの心の中に生じる苦に変化する。

人間が生きていく上で、正しくない環境(自然の法則に反している状態・苦の原因)

※無明(知識と理解がない状態)、

※渇愛(様々なものを欲求し、望むこと)、

※執着(自分の欲するままに生きる)

これらを用いれば直ちに問題が生じて苦が生じる。

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智慧をもって自己開発をしなさい、と あります。(人間は学習でき、訓練できる生き物だそう)

智慧(知性)が大事。

そして、この3つ(無明)、渇愛、執着)を手放すことが、善き生き方へつながる、とあります。

 

ヨーガでは身体を馬車に図式化して説明しています。

感覚器官と運動器官(10頭の馬たち)がありのままに外の刺激や対象物を認知できず、知識(御者)と意思(手綱)が正確につながらないと、険しい道(人生)を歩むことになるよ、と言っています。(ヨーガの理論・人間馬車説から)

 

※無明(知識と理解がない状態)と同じですね。

 

馬車の車体は肉体として捉えています。険しい道を歩むことで、車体(肉体)はボロボロに…。

険しい道を走り、暴れん坊の馬たちを上手に操縦できなければ

身体のどこかに支障がでてきます。正しく判断することが、健康寿命につながる。

 

また、険しい道ばかり走っていたら、

馬車の中に乗っているお客様(ヨーガでは魂といったり真我・本当の自分と考えている)は、

しがみついて車体の奥から決して顔を出してはくれません。

コレでは心と魂がつながりません。

平穏な道をゆっくり安定して歩いてれば、お客様(魂といったり真我・本当の自分)は顔を出して、

美しい外の景色を見ようとする。

身体や心の声を聴くことができる、本当の自分を感じることができます。

 

※渇愛(様々なものを欲求し、望むこと)

※執着(自分の欲するままに生きる)

「自分が自分が..」「欲しい、ほしい..」と思っていませんか?外の刺激や物に強く心がくっついていませんか?

それはあなたの人生に必要なものでしょうか?
物質的なもの(ブランド鞄や服、宝石、不動産やお金)の中に、幸せはありません。名声やトレンド、容姿を着飾るアレコレを持つことが幸せ?

何かに執着している状態は、自分の感覚器官/運動器官 (馬たち)は欲しいものに向かって、突進している状態です。

10頭がバラバラにあっちこっち向いて走ってしまうと、御者が上手に馬たちを操ることができない。そうすれば安定して走れず、崖から落ちるかも!車体は壊れてしまいます。

 

 

この本では、自然界の真理を知り理解すること、
そして、役立たせることが大切だと教えています。

人間だけが特別では無い、人間も自然界の一員。

宇宙の法則に従って、平和に外の景色を見る余裕をもちましょう。

自分も周りの人も愛して、
美しい景色をながめる。。。

忙しくて時間がない?

イヤイヤ、時間は自分で管理するものです。

 

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