6月の聖句は
「優しい言葉は簡単に言える。しかし永遠に響き続ける」 です。
「苦しみのまっただ中にいる人に優しい愛の言葉かけをすれば、その余韻はその人の心に一生涯響き続ける」
という智慧の教えです。静かに目を閉じ、あなたの場合、
苦しんでいる人の耳に優しい言葉かけをした時の体験を・・・
または、
苦しんでいる人に愛の言葉かけができなかった、という体験を・・・
自分の周囲で困難に直面している人に対して「優しい言葉かけ」をするとしたら
どう言えば良いかを・・・
記憶の袋を開いて、ご自身の体験の中からよくお調べください。
苦しむ人に愛の言葉かけをしたので、
それ以降その人と良い人間関係を保つことができた、という体験を思い出してみましょう。
または、愛の言葉かけをできなかったのでそれ
以降その人と疎遠になってしまった、という体験がないか
ご自身の経験の中から探します。
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慈愛 = 平等感
と捉えています。
私も貴方もない、平等。
自己も他人も同じ、と思えば相手の苦しみも自身の苦しみ。自分の心をケアするように、相手の心に寄り添う そんな言葉が生まれてきます。
ヨーガではよくこんなたとえ話をします。
私たちは「空」
「雲」ではない
雲はいろいろな形がある。入道雲、鰯雲、厚い層の雨雲、薄い雲。飛行機雲。いろんな形が表現されている、まるで自我意識。
私の心=雲
ではありません。
私が私が・・ とほしがる心、いやがる心、執着、私のお金、私の家、私の家族、私の仕事・・私の肉体。
ポコッ、ポコッ といろんな形で生まれてくる雲(心)。
でも、本当は幸も不幸も、好都合も不都合も、善いも悪いも、合うも合わないも、好きも嫌いもない。
心(私)は空。 そう思うことで、平等感が生まれます。
私たちはつい、自分たちはいろいろな形で空にたたずんでいる「雲」 だと認識しがち。
本当は不変的なもの、「空」なのです。そう思うと、他人の苦しみも自分のことのように考え、優しい言葉かけができますね。