6月の聖句は
「私たちに偉大なことはできない。
しかし 偉大な愛で小さなことはできる。」 です。
「人生の偉業とは、愛情を持って日々小さな事々を実行してゆくことである」、という智恵の教えです。
大きな愛情をもって行ってきた事々の体験を・・
苦しんでいる人々に、愛の心で行えた小さな体験を・・
我ながら良い思いをもって行えたなぁ、という愛の行為の体験を・・
思い出していただき、言語化してみましょう。
慈愛の心であれば、たとえ小さな行いでも偉大な行いになる、という意味のことば。
自分の場合は何があるでしょうか。
”愛”というと、男女の恋愛を想像してしまいますが、この場合は”慈愛”。
慈愛とは、「思いやる心」「親が子をおもうような深い愛情」を示しています。
愛をいただいた経験は持っています。
そう、おぎゃーと生まれたとき、何もできない赤ちゃん時代を育てていただいた経験。両親からのお世話だったり、おばあちゃんからの愛情だったり、、兄弟や親戚のオバサンに育てていただいたかもしれません。
一人では何もできない赤ちゃん時代。
その時代を経て、今生きているということはどなたかにお世話になってここまで成長した、ということ。
(つい忘れて、不平不満を言ってしまいますが)この事実を忘れないように・・努めています。(*^_^*)
さて、自身が慈愛を与えた経験。
うーーん。
子どもがいますが、育てるのは当たり前だと思っているので、それ以外で。何か経験があるかしら。
「頼まれごとはなるべくNOと言わない」ように、と努力していますが・・。それでもイイかな。小さいことでOK。
近所のお掃除とか、両親にやさしい言葉をかけるとか、困った人がいたら力になる・・そんな経験を探してみましょう!