コヘレトの言葉 ~ Eテレ こころの時代から~

 

3月もお彼岸が過ぎ、季節は春

 

今日は春の嵐のよう、風の強い雨の日です。

Eテレ こころの時代から 

「コヘレトの言葉」 それでも種をまく を見て、さぼっていたBlogを書く気になりました。

 

 

聞いたことを、ただ文章に書いただけなので、まとめてはいませんが。
ただ、自分の覚え書きに・・・

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「コヘレトの言葉」は、紀元前のエルサレムで書かれた旧約聖書の一部。今、注目されている言葉でもある。

「人は幸せを見ない 6章6節」

「いらだちと病と怒りは尽きない 5章16節」

「死ぬ日は生まれる日にまさる 7章1節」

 

「災いは人間に重くのしかかる

やがて何が起こるかを知る者は、一人もいない。

確かに何が起こるかを誰が人に告げることができるだろう 8章」

 

一見すると、否定的な文章に思われるが、

それは”生きる”ということを積極的に後押ししていている言葉でもある。

作者(コヘレト)の正体は謎につつまれ、

コヘレトとは「集める人」という意味だが、生きる意味を語る人だった、と想定される。

 

 

コヘレトによると、

人が未来を知ることはできない、今 このときを生きることの大切さを知ることが大事、と説いている。

 

「朝に種を蒔き、夕べに手を休めるな。うまくいくのはあれなのか、これなのか

あるいは そのいずれもなのか あなたは知らないからである 11章6節」

 

この言葉は、我々が人生をどう生きるのか・・ を指している表現。結論。

 

生きることは”種まき”だ。

行為がどう実を結ぶかは、わからない。しかし、手を休めるな、とある。

 

印象的な言葉だ

 

コヘレトは私たちは未来を知り得ない、しかし、種をまけと言っている。

 

なぜなら

「うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは そのいずれもなのか あなたは知らないからである 」

どの種が実を結ぶかわからない

どの種も実を結ばないかもしれないが、だからこそ 「朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな」と言っている。

 

人生は

種を蒔くしかない、とコヘレトは言う。

 

 

 

旧約聖書の 詩編から

「涙のうちに種蒔く者は、喜びのうちに刈り取る

種を携え泣きながら出て行く者は、束を携え喜びながら帰ってくる    詩編126」

 

「種をまく」と、「何かを受け取る」 はとても近いものがある。

それは神様からの贈り物 グレースのようなもの。

 

どこからきたかはわからないが、私たちは受け取っている。気づいていないだけ・・

 

コヘレト曰く、「徹底して種をまけ、朝から晩まで種をまけ」と言っている。何かを受け取るためにも。

 

 

「それでも生きよ。」

とにかく 「それでも生きる」

 

コヘレトのメッセージは「生きていれば、可能性はあるよ」 ということ。

 

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「空」
これも、コヘレトの大事なキーワード、何度もコヘレトのことばの中にでてきます。

 

「空の空、空の空 一切は空である 1章2節」

 

 

人生はへベル(空しい)。

だからこそ、種をまけ、今日を無駄にするな、というメッセージも深い。

 

 

種をまけているかな? 今日を丁寧にすごしているかな?
人生は「空」だから、大切に自分なりに過ごしたいもの。

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